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命のあるものは、 必ず「死」を迎えるのですが、
若い頃は、 「死」というものは、 遠い未来のもので、 現実味のないものだと思います。

私自身も同じで、 「死」はまだまだ遠い先の事で、
もしかしたら、自分や自分の家族は避けて通れるのではないかとさえ感じていました。

「死」が身近なものになったのは、 ある経験からです。
数年前、原因不明の体調不良が1年間も続きました。
もちろん、その間何度も病院を受診しました。

レントゲン、
血液検査、
内視鏡など、
色々と検査を受けましたが、 原因は全く分かりません。
医者には「特に心配ない」と言われましたが、 体調不良は一向に良くならず
辛い時間が続きました。

何度も、しつこいくらいに病院を受診し、 半年後、難病である事がわかりました。
「難病は、原因も分からなければ、治療方法も確立されていない。」
そう聞かされたときも、 体調不良の原因は病気だったと納得出来ましたが、
「死」が身近になったわけではありません。

「死」は、まだまだ他人事でした。

難病であると診断されたその年の秋、 急に体調が悪くなり入院し、
「これ以上出血があれば、命の保証はない」と言い渡されました。

いきなり「死」が目の前に立ちふさがったのです。

子供はまだ小学校低学年。
まだ小さい子供を残して私は逝かなければならないのかと、
底のない暗闇に、引きずり込まれるような気がしました。

「夜、目を閉じて眠ったら、翌朝、目が覚めないのではないか」
そんな恐怖を感じ、 自分がやり残してきたこと、伝えたいと思う事、
伝えなければならない事が、 頭の中をグルグルと駆け巡りました。


「自分が死んでしまうかもしれない」と実感したとき、
「遺言書を書いておけば良かった」と感じました。

その時、私はまだ30代でした。
「死」は、 ずっと先の遠い未来のものだった筈なのに、 いきなり目の前にやってくることもあるのです。
やりたいことも、伝えたいことも、まだまだ沢山あるのに、 こちらの意志は全く無視で、 全てが打ち切られてしまうこともあるのだと知りました。

その後、1ヶ月余の入院生活を送り、 幸いな事に後遺症も残らず、無事に退院することが出来ました。
退院後は、自宅で日常生活を送るのさえ億劫な状態が、 1年近く続きました。

体調が落ち着いて、少しずつ以前と同じ日常が送れるようになると、
日常生活の忙しさに、「死」の恐怖は少しずつ薄れていきました。

「死」の恐怖は薄れていきましたが、 難病である限り「死」が身近な存在である事にかわりありません。

実際には、私だけでなく、誰にとっても「死」は、 決して遠い存在ではないと思っています。
ある日突然、「死」が目の前にやってきても慌てなくて済むように、
後悔しなくて済むように、自分がやろうと思っていること、
伝えたいと思っていることを、遺言書として形にしておくことは、
とても大切な事なのではないかと感じています。

3年前、父が他界しましたが、 父は何も言わず、何も残さずに逝ってしまいました。
何をして欲しいのか父の思いが分からないまま父を送りました。
もちろん、先に逝く人にとってもその思いを形にしておくことは重要だと思いますが、 残される人にとっても、遺言書は大切な道しるべになると思います。